元・転勤族の偶然
きゅんぱち が広島市在住時代に在学した中学校で同級生として知り合ったヤジマ君(仮称・笑)。
来年、彼の末っ子が受験する志望校を下見するのにかこつけて関西から上京してきたので、ウン十年か振りの再会を果たしたのでした。
食事してからサウナで汗を流そうという流れになり、それじゃあってんで、手始めに東京メトロ日比谷線は神谷町駅スグの「いきなり!ステーキ・神谷町店」にて肉をがっつく(笑)。
来年、彼の末っ子が受験する志望校を下見するのにかこつけて関西から上京してきたので、ウン十年か振りの再会を果たしたのでした。
食事してからサウナで汗を流そうという流れになり、それじゃあってんで、手始めに東京メトロ日比谷線は神谷町駅スグの「いきなり!ステーキ・神谷町店」にて肉をがっつく(笑)。
ヤジマ君の宿泊先に近接した温浴施設ということで「おふろの王様・大井町店」へ移動と相成った次第。
大井町駅の看板は何故か真ん中だけ管球切れというマの悪さ(苦笑)
それでもなかなか綺羅びやかな駅前ロータリーですね。
むむっ?「阪急」の2文字のバックライトも管球切れ?
いえいえ、阪急百貨店大井町食品館は8時で閉店だったのでした
さすが阪急の卓越した駅前開発。飲食店と温浴施設を擁したビジネスホテルとしては申し分のない充実ぶり。
ヤジマ君親子とは湯船に浸かりながら、かつて居住した広島から関西そして関東で縁のあった友達にまつわる四方山話に花を咲かせたのでした。
というのも、きゅんぱち は過去記事でも書いたとおり、いわゆる「元・転勤族」なんですけども、父親の転勤にともなって、物心がついたころには、東京→名古屋→横浜→広島→宝塚→横浜と3〜5年毎に転々と居を移す経験をしました。
前出のヤジマ君っていうのは元々浪速っ子だったんですが、彼も父親の転勤で東京→広島→大阪→東京→大阪と東海道や山陽道を行ったり来たりしていたわけで、広島でワタシと知り合ったわけです。
このヤジマ君の他にも何人か、関東から転校してきて同じ広島市内の小・中学校で同期となった友達がいたという事実。
すなわち関東→広島→関西→関東を股にかけたような地理的トレースで転校を繰り返した同輩がワリといて、転校先でも奇遇を地でゆく再会を果たしていたのでした。それは同じ塾や予備校であったり、文通を通して繁華街で待ち合わせしたり、と。
不思議なのは、父親の転勤といえども勤務先は資本的にも系列的にも全く無関係であるにも関わらず、という点なんです。
3〜6ヶ月前後するものの同年次に、同じ地方へ転校していたという事実なんですな。
後年、デンチュウくんやヘマモトくん(仮称)はナント、浪人生として代々木ゼミナール横浜校での金ピカ先生こと佐藤忠志先生の単科ゼミの教室で再会しましたし、その畏友で広島が地元のへマシタくん(仮称)は過去記事で書きましたが拙方を卒業生ではないにも関わらず広島の同窓会へ誘ってくれたわけなんです。
転勤族だった過去っていうのも、なかなか捨てたもんじゃないな~って想いを致す、旧友との再会でした。
タグ:転勤族
私も転勤族。実家から始まって、結婚してからも。
だから、友達が少ない方だと思います。
昔からお付き合いのあるお友達、大切にしないと。
最近は東京に定着してから、仲良しになったテニス仲間、次々と他界。年をとるのは寂しいことでございますねぇ~。
by okko (2017-12-11 17:02)
↑okkoさんには負けますが、私の父も転勤の移動距離だけなら大したもんです(笑)。
by トモミ (2017-12-11 19:22)
愚僧はヒョーゴスラビア内での転居だけでしたからソトサマは詰まらんとブーブー。 それに引き替え義兄は大阪→広島→宝塚→盛岡→浦和→横浜→西方浄土。
私が須磨に住んでいた頃、正月に盛岡は雪の中、スパイクタイヤの猛烈な音に周囲の方がビックリした思い出が・・
宝塚生まれの甥姪のズーズー弁も良き思い出・・
by OJJ (2017-12-12 11:59)
☆☆ okko さま
新しい仲間を増やすパワーは okko さんにかないませんですよ、ハイ。
☆☆ トモミ 先生♪
どんだけ〜♪
いかほど〜♪(笑)
☆☆ OJJ 師匠!
とどのつまりは、徒然なるままに全国を股にかけた OJJ師匠の里歩きに繋がっていくわけですよね〜。
ウケケケケ
by きゅんぱち (2018-02-21 18:49)